包摂すべきリベラル、が陥る排除の論理:『リベ敵』から考える-4

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個を認めるアイデンティティを一つの要素でグループ化する。
そのグループ一つひとつは、多様性の一つの要素なのですが、一つのグループアイデンティティ内に限れば、自己の利害がらみで意識は共有できる。
しかし他との共存を意識せず、あるいは排除とまではいかなくても、そのグループ自体の共同化や組織化の基盤が脆弱である場合には、小さいながらも持ちうる「力」にさえなりえない。

こんな、アイデンティティ・クライシスが、重層化・拡大・拡散している状況と言えるでしょうか。
本来、この状況を包摂することを立ち位置としたリベラルが、あるべきなのですが、その理念から、より遠ざかるかの様相さえ呈していることに、現代日本の情けない実態があると感じています。

 

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